1月8日
夫婦で面会。
隣の子どもが状態が良くないためか処置中で、人手がそこに割かれていた。
「どうぞ」とにこにこ笑顔でベッドに通されたので、とくに心配もせずに面会に入ると、息子はぜいぜいしていた。
元々心不全はあるが、いつもより断然心臓もバクバクだった。
呼吸が早いので、アラートもばんばん鳴るが、とくにみんなお構いなし。
受け持ちの看護師がなかなか戻って来ないので、忙しそうにしている看護師に思い切って声をかけ、
「だいぶしんどそうで…・・痰が溜まってるんですかね?」と聞くと
ささっと痰をとって「スッキリしたねー」とおしまいの雰囲気。
「アラート大丈夫ですか?」と聞くと、「呼吸が早いと鳴っちゃうんですよね」と、まあ仕方ないです、という感じ。
えー?と思ってしばらくしていると、リハビリの女性が来て、こりゃだいぶ熱がありますね、と。
受け持ちの看護師に声をかけて、赤ちゃんを冷やすように忠告してくれた。
看護師が体温を測ると38.9度もあった。
「ごめんねー暑かったね、今冷やすね」と言って、ニコニコ冷やしてもらったけれど、色々ともやもやした。
いつから高熱で具合悪くしていたんだろう。
日々面会できていない23時間の中で、こういう場面が多く存在しているのかもしれない。
高熱にうなされて具合悪くしていた息子を目の前に何もできなかったのも悔しかった。
やはり日々の面会でたった1時間でも息子の状態を確認するというのは本当に大事だと思う。少しでも気になることは空気など読まずに徹底的に確認するべきだと思った。
1月5日
生後98日。夫婦で面会。
息子は眠ったきりだった。
たまに耳のすぐ横で名前を呼んだり、ガラガラを振ってみたりしたけれど、こんこんと寝ていた。
夫は相変わらず、息子が寝ていると一緒にうとうとしていた。
私は息子の胸に手をやって、心臓の音を聞いたりしていた。
頭くしゃくしゃなのに気づいた。脳波の跡だなーと思った。
以前脳波取り付けに出くわした時、息子は結構嫌がっていたので、「辛抱したねー」と声をかけた。
そうしているうちに臨床心理士さんがやってきた。
カウンセリングを希望していなくとも、ベッド横に来て様子を見に来ることがある。
もうあまり頼ることはないだろうな、と思っているのだけれど、来てもらって無言が続くのも気まずく、現状を伝えたりしていた。
帰宅間際目を開けた。
臨床心理士さんや看護師さんがいる手前、お別れ間際の余韻を楽しむ雰囲気もなく退出になったのが少し残念だった。
1月4日
夫婦で面会。13時から。
「処置が入っているのでお待ちください」と言われ、待ったがなかなか終わらない。
別の看護師さんがやってきて、
「呼吸器の入替をしていました。今からレントゲンをとるので、今しばらくお待ちください」ということで、40分ほど待った。
中に入るとやはり息子は寝ていた。
鎮静で、身体はぐったりだろうと思っていたら、思いの外少しグッとにぎる握力があった。
すぐC先生が来て説明が入った。
・血液中の菌は陰性なので、感染症治療は順調。呼吸器の管に菌が繁殖しないように、入れ替えをした。
・ビリルビン数値は下がっている。現状、総ビリルビン8.1。
・心不全指標のBNPも出生から概ね減少傾向はある。
・全体的に状態自体は回復傾向。
途中からB先生が来て、後ろについていた。
C先生の説明ののち、面談。
私から「脳障害の判定をする段階にないか」と聞くと「身体的にしんどい状態なので、全然そういう段階にはない」とのこと。
2か月ほど前、蘇生から回復してきた時、あきらかに目が生き生きしている時があったが、それからとんと見ないので、どういうことなのか気になっていることは伝えた。
追視らしきものがあったが、時間が経つにつれて失われた気がするとも伝えた。
先生は大きく沈黙して言葉を考えた後に「身体の回復を見て、長い目で見ていこう」というようなことを言った。
「細かい回復は見られているけれども、先が見えない状況に関しては何も変わらない」と率直に言ってくれるのはよかった。
説明が終わり、看護師さんにお食い初めの希望を話した。
息子はずっと眠っていて、保湿クリームを塗ってやった。目の下のところが赤くうっすら霜焼けているような感じがした。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
1ヶ月検診のときの記録。
3ヶ月検診の記録。
1月3日
夫婦で面会。13時から。
道中、信号待ちのところ、夫から「目がヤバいよ」と指摘が入る。
面会制限がされるのではないかと思い、病院をどう説得しようか必死に考えるばかりだった。
今日は息子はうっすら目が覚めていた。
頭を洗ってやって、おむつを替えたら、ミルクの入る時間になり、そのうち眠っていた。
C先生がやってきて、息子の状態の説明があった。
ビリルビンの数値は微減。コンディションを整えるには時間がかかりそうです、と言った。
むくみもある、むくみはほんとうはもう少し取りたいが、辛抱するところだと。
昨日暴れる?ということがあったとのことだったが、痙攣が疑われているらしい。
てんかんということもありえないことはないので、慎重に様子を見るとのことだった。
予防的に抗痙攣薬を入れているということで、ある程度鎮静されているということだった。
100日のお食い初めはどうしますか?と看護師さんに聞かれた。
NICUでのお食い初めを以前調べたことがあったが、お食い初めの一式を画用紙で模したものを使うところが多いようだった。
個人的には、擬似的なものでやるより、なるべくほんとうの赤飯やら鯛やらを持ち込める形にしたいと考えていたので、その旨を伝えた。
息子はずっと病院暮らしなので、ほんのわずかでも家の何か雰囲気が伝わればと、おうちの食器でおうちの箸で祝ってやりたいと思う。
(今のところ、食器は家で使っているもの、食べ物はジップロックに二重にいれ、クーラーボックスで持ち込もうと考えている)
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
正月のゆずを触らせた。
少し熱があるので、ひんやりした感覚はきっとよかったと思う。
1月2日
夫婦で面会。13時から。
道中、「緊急事態宣言が出たら、面会大丈夫かな?」と夫が呟いた。
わたしは毎日、面会に行く最中、そのことばかり不安に考えている。
現在、NICUの面会制限は週3回一時間ずつ、と決まっている。それをなんとか交渉して、毎日の面会が「一時的」に許可されている。
いつ何時「明日からはお母さんが何と言おうと、週3面会に切り替えます」と言われてもおかしくない状況で、うんざりする。
緊迫したコロナ下とはいえ、しれっと母(父)子分離を強制されてしまうのは、ほんとうにいやだ。
週3面会オーケー、といえば聞こえはいいが、逆をいえば、週4回は面会を許さないということだ。
基本的に医療者は感謝すべき存在だということは理解していても、当然ながらやはり、彼らが親族的な感性を持ちうるわけではなく、どこか決定的にドライであるにも関わらず、息子に関するほとんどの権限を彼らが有しているという非常に不均衡な関係が、どうしても許せなくなり憤ることがある。
息子の身体におおきな損害をもたらした彼らにずっと預けているという強い違和感がある中でも、病院を変えるという選択肢すら、用意されていない。(移送できる状態にない)
到着し、面会。
面会一時間ほど前に、息子が暴れる?大きく動いてしまうことがあったようで、睡眠薬で寝かされていた。面会中起きることはなかった。
自然に寝ている、というよりも、もう2ランクくらい深い、すこし不自然な眠りに感じた。
口がポカンと開いていたので、口の中がカピカピになるのではないかと思った。
「午前9時頃、落ち着き開眼していたが多量に嘔吐した」とのモニターのメモを盗み見て、すこし不安になる。
看護師さんからは経過について口頭で説明があったが、嘔吐の説明はなかった。
言いづらいのかもしれないが、こういうような「伝えなくても支障がないので特に両親に伝えられることのない息子のしんどい場面」というのが今まで沢山あったのではないかと思ってしまい、不安になった。
息子の状況はある程度理解した上で、その状況に合わせた心持ちで接してあげたいと思うからだ。
爪を切って、保湿クリームを塗った。
帰宅近くになり、ようやく嘔吐した件の話が出て、すこしほっとした。
看護師さんは良い方だと思う。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
息子のあたま。
1月1日
夫婦で面会。14時から。
昨日と同じ男性の優しげな看護師さんだった。
息子は終始寝ていた。
特に睡眠薬は入っていないということだったが、時折ちょっかいを出しても起きなかった。
義父母からもらったお年玉を持たせて、写真を撮った。
息子が寝ていると、親としてもやれることは保湿クリーム塗るとかそういうことくらいになるので、端的にいえば暇なのだけど、夫もつられて眠たそうにし、しばらくしてうとうと寝ていた。
わたしは寝ることはないけれど、夫がそうなるのは微笑ましく感じる。
家族としてそういうリラックスした空気も大事だと思う。
状況にもよるだろうけど、基本的には看護師さんに放置してもらって、三人水入らずにしてもらう方が良いので、ゆっくり過ごせてよかった。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した
息子のモニター。
12月31日
夫婦で面会。
丁寧な男性の看護師さんだった。
息子は上半身をぎゅっと反らせて?頭をぐいぐい動かす動作を繰り返していた。
わたしは脳障害からくる麻痺、筋緊張では?と思ったが、夫は、どこか気持ち悪い箇所があるのでは?とすこし心配そうだった。
わたしと夫、15分くらいずつ抱っこした。
息子がどういう気分なのかは計りかねたが、つらい、という感じではなさそうだった。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
息子の手。(あざがなかなか消えない)
12月29日
義父母と夫と面会。
ダメ元でおばあちゃんの抱っこを交渉したらOKをもらえた。
義母は泣きながら抱っこしてくれて、ほんとうに良かった。
義父も対面をおおむね喜んでいる雰囲気があり、「こっち見てるな。見えてるなこれは」という安心のような発言もあった。
(わたしはあまり追視はしていないと思っているのだけれど。)
義母は抱っこを喜びながらも時折、アラート音や息子の呼吸に不安げな場面も見られた。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
義母と息子(抱っこ中)。
12月28日
夫婦で面会。12時から。
今日は抱っこできるとのことで、夫婦15分ずつくらいで息子を抱っこをした。
PICUにいるときは「人工呼吸器挿管後の抱っこは、安全性の面からかなり厳しい。できるとしたら、次は看取りのとき。」くらいの感覚で言われていたので、NICUに移ってからの高待遇はいまだに腑に落ちていないが、とにかく抱っこできることは良いことだった。
ベッドからの息子の移動はかなり大掛かりになるだろうと思っていたが、昨日と比べて点滴がひとつ外れて、一時期よりは身軽になっていたからか、看護師さんふたりで足りるくらいだった。
抱っこした息子の身体はかなりくったりしていて、以前より重く感じた。
最初は眠っていたけれど、途中からずっとぼやぼや起きていた。
相変わらず表情は変わらないが、つらいとかしんどいということはなさそうだった。
抱っこで、すこしでも環境が変わったことが息子の日常のアクセントになったら、と思い、いろいろゆっくり揺らしてみたりした。
夫は「普段背中は触る機会がないから、この機会にたくさん撫でてあげた」と言っていた。
抱っこがおわったら、すぐ時間になってしまった。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
12月27日
ひとりで面会。12時から。
今日の担当の看護師さんは明るい感じだった。
40分くらいほっといて、二人きりにさせてくれてありがたかった。
その看護師さんは、他の赤ちゃんにもたくさん話しかけていて、こういう人はありがたいなと思った。
息子は結構起きていた。
今日も呼吸器イヤイヤという素振りが多かった。泣く、ということはないが、おそらくは多少の不愉快では「泣けない(慢性的にしんどくて体力がない)」のだと思う。カテーテルが入ってガチャガチャ色々医療器具がついている重い左手を、呼吸器の近くに持っていってどけようとするのだが、アラームが鳴ってしまうので、その手をやんわりわたしが抑えるばかりだった。
でもそれでも、両手両足、常にがっちり拘束されているよりは100倍、マシだと思う。
ただ、起きていると心拍数が170くらいまで上がってしまうので、寝てていいよーと思った。
C先生が来て説明があった。
Aラインという、血圧を測定するラインがひとつ取れたという報告だった。じゃあ、という感じで、すぐにいなくなった。
C先生の、最後のとりつくろったような笑顔が苦手だと感じる。
こういう時の主治医の交代というのは、いろいろハードルがあるなぁと改めて思った。
最後の方はおむつ交換をした。
うんち出ていた。
看護師さんから、夫の祖父母の面会について再確認された。看護師さんも九州の出身だが、今年はとてもじゃないが帰れないと言っていた。
今日もあっという間に一時間終わった。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
12月26日
夫婦で面会。
足の爪をふたりで切り、わたしはおむつ替えをした。
息子は呼吸器がいやそうな動きが多かったように思う。
夫の祖父母面会について聞かれ、29日12時からの面会で話がついた。
また、「28日に希望があれば息子の体調次第で抱っこができる」ということになり、それならぜひよろしくお願いします、ということになった。
これまで生後約3ヶ月の間に抱っこできたのは、夫3回、わたし4回。
前回は「もう今後手術せず、回復しなければ看取りの方向で」と主治医に伝える直前の抱っこだったので、残酷な状況だったのを覚えている。
PICUのB先生とNICUのC先生が来て説明。
ミルク一回40cc。MCTミルクから、母乳・粉ミルクにすこし切り替えると説明。
息子の調子が上向きだと、B先生は明るい調子になるが、今日はそういう感じで笑顔だった。
その後看護師さんから「母乳の出はどうです?」と聞かれ、「もう出なくなっちゃいました」と答えた。
搾乳をするたびにとてもつらいのだ。
母乳が出なくなるのも生物的に母親らしくなくなるようでつらかったけれど、それ以上のつらさだった。
特にここ一ヶ月は、もう息子は母乳を飲める日が来るかもわからなかったので、余計に嫌だった。
今日はすこし座って、落ち着いて息子の寝顔を眺める時間があった。
看護師さんが「明日は何時に来ますか?」と聞くと、帰りの合図になる。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
帰りの道中、夫に「明日は僕だけ面会に来ようか?」と聞かれる。
私の体調を気遣ってのことだが「大丈夫」と答えると、「臨床心理士さんのカウンセリング受けた方がいいんじゃないの?」と言う。
私が今何に葛藤しているかをあまり聞こうとせず、しんどい日があると即座にカウンセリングを勧めてくるので、すこし嫌な気分になる。
家に帰って仮眠をしたら、すこし落ち着いた。
12月25日夜
生活が落ち着きはじめていることに気づき、布団に入ってからほんとうに嫌な気分になり、
全く眠れなくなったので、やけな気分になり、酒を飲んだ。
一日一時間の面会で、家に帰って、ご飯を食べ、仕事をし、テレビを見て、たまに笑い、お風呂に入り、寝る。
夫はこういった例外状態であっても毎日の生活をしっかり整えることに重きを置いているので、そういう日常が正しいことだと思っている。
しかしわたしは子どもを産んでこの約三ヶ月、保護者としての経験を微塵もさせてもらえないことが惨めでたまらない。
日常を送れば送るほど、つらさが増してくる。施しのおまけのような面会時間では、息子に何も費やせていない。
産む前は「どんな子であっても責任を持って育てよう」とか生意気なことを考えていたが、そもそもその覚悟なんて全くちんけなものだと実感させられるくらい、徹底的に子どもとの断絶が強いられる。
たいへんな状況になれば、そもそも、責任なんてまったく取らせてもらえないところに子どもが連れて行かれるのだ。
そういうものだと知らなかった。
それでも人間は環境に慣れてしまう生き物なので、そういう状況にいかに違和感を持ち続けようと思っていても、慣れていく。
子どもの不在に慣れる。息子が遠いところで、常に不快や苦痛を感じているだろうと思っていても、慣れる。
そんな自分が嫌になるし、夫が嫌になるし、そういう環境をつくり出した医療が心底嫌になる。
・コロナの影響で感染拡大予防のためには入室制限をしなければいけない→わかる
・治療には合併症のリスクがあるので、息子が重いダメージを負ってしまった→わかる
わかるなら受け入れろよ、というロジックで、あらゆる事象を受け入れることを求められるが、「わかる」ということと「受け入れる」ということには引き裂かれるほどの落差がある。
息子を乗せ、暴走機関車のように進んでいくすべてのことを、まったく受け入れられないままついていっているのに、
「わかる」のなら受け入れているのだろう、というムードで進んでいっていることに、猛烈な怒りを感じる。
すべての問題は「お前が息子を心疾患で産んだのが悪い」ということに帰結するんだろうが、
こんな結果をもたらすほど、わたしは邪悪なことをしでかしたのかと、絶望的な気分になる。
12月25日
12時にNICU入室。今日はひとりで面会。
息子のところに行くと、看護師さんがおらず、だだっぴろい暗い空間でひとり、無表情でぱっちり目を開けていた。
結構衝撃的な画だった。
ああ、さみしかったね・・・と手を握ったり声かけしているうちに看護師さんがきて、感染症対策のガウンを着てくださいと促された。
PICUのときはガウン着用していなかったので、ルールに慣れておらず、慌てて着用した。
看護師さんから「身体をふくのと、おむつがえ、着替えをしましょう」と笑顔で提案された。
おむつ替えのときは、たくさんうんちをしていたけれど、おなかがかなり張っていたので、浣腸をすることになった。
やはり、浣腸のときも特にリアクションはなく、表情がかわることはなかった。
おなかをマッサージしていると、息子もすこしだけたかぶっているような雰囲気がした。うんちが出そうなので、力んでいるような。
さらにマッサージ続けてしばらくするとぷりぷり音がして、うんちしてるなーという感じ。
おむつ交換のときは、息子がおしっこしたり、うんちがこぼれそうになったり、結構てんやわんやだった。
ひと段落して、看護師さんに夫の祖父母の面会の話をした。面会日決めかねていると伝えると、焦らなくて大丈夫です、とのこと。
主治医C先生がきて、症状の話をした。おおきく変わりがないということだった。
C先生からも祖父母面会について聞かれたので、同じ話をもう一度した。
祖父母が九州から車で来るかもしれないことを話すと、「途中でサービスエリアで休憩したり、宿泊したりするし、疲労やストレスで免疫が下がるので、車も一概に感染リスクが低いとは言えない。飛行機も最近は比較的対策が行き届いているので、どっこいどっこいでは」と言われた。
大事な話ではあるが、さらに別の看護師さんも混じり思わず長話になってしまい「あーしまった」と思った。
症状の説明と、祖父母面会の話で時間を使ってしまい、落ち着く間も無く、あっという間に一時間経ってしまった。
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
12月24日
16時から一時間の面会。夫婦で。
クリスマスを祝った。
お店で買うとき、夫は時間を気にしてギフトラッピングを断ろうとしたが、結局ラッピングしてもらったのは、息子にプレゼントを理解できるできないは関係なく、ひとりの人への贈り物としてちゃんとその場で開封式をやりたかったからだ。
ガラガラのおもちゃと、動物柄の帽子。
プレゼントの帽子を被らせようとすると、頭が動き、人工呼吸器の管の、あの大げさなアラートが鳴るのではないかとヒヤヒヤしたが、わたしが自分で被らせたかったので、看護師さんがいないうちにとやった。
帽子を被らせたところで看護師さんがやってきた。
看護師さんが常にいるので、3人で祝う、という雰囲気でなかったのが若干残念だったが、祝えたことはよかった。
イベントとして大事だった。
主治医の先生が最後説明をしにきたが、夫ばかり見て話すので、説明が終わった後、
「パパに説明するタイプの先生だね」と看護師さんに聞こえるようにいやみを言った。
(夫はそういうわたしの態度は嫌なようだったが、小さな不服を溜め込んでいくより、やんわり先方に気分が伝わった方がいいと思った。)
お母さんもう行くけど、また明日来るからね。ずっと一緒にいるからね
と額に頭をつけて、帰宅した。
夫はあの空間が明るい雰囲気になるのが嬉しかったのか、めずらしく家に帰って何度か動画を見返したりしていた。