コロナ禍における赤ちゃん(退院見込みなし)との面会制限緩和交渉
現在息子が入っているNICUは週二回1時間ずつの厳しい面会制限となっていますが、何度か病院側と交渉して、現在は平日2時間、休日6時間の面会制限に緩和されました。24時間自由に面会可能な通常時より厳しく限られていることには変わりなく、非常に無念ですが、看護師さんには精一杯内部交渉してもらい、病院としての誠意は感じる結果となりました。この内容で合意しています。
都内の大きな病院で、小児病棟全体で議題に上がったそうですが、以下のような医師の意見も上がり、制限緩和となったようです。
・医療者が赤ちゃんと親を切り離す権利は元々ない
・赤ちゃんの重症例もほぼない など
親としては「コロナリスク勘案したとしても、赤ちゃんとの面会制限緩和は時に非常に重要である」と伝えるため、以下の文章を病院に渡しました。(個人的にはもっと強く人権抑圧的要素が強いことを言い渡したかったですが、交渉のためマイルドな内容にしています。)↓
面会制限に関しては振り返ると、後悔し、やりきれなさを感じる場面があります。
例えばカテーテル治療の心臓穿孔よって〇〇(息子)が急変し、PICUに入室したとき、一度夫婦同時入室しましたが、翌日には重篤ではあるものの生命危機を脱したという理由で、その後夫婦同時入室や、祖父母面会が原則許されませんでした。
コロナ禍であるため、医療従事者の方々や周りの赤ちゃん、自分の子に危害を加えることだけはあってはならないと、私たちもその条件を強く求めませんでした。しかし振り返ると後悔は強いです。
即死は免れたものの「心臓以外は健康な息子」を失ったというある種の喪失でしたので、家族同士同じ空間で子どもを目の前に、喪失を憤ったり悲しんだりする時間が必要でした。親が儀式的に喪失を体感し、それを受け入れることは、その後の赤ちゃんの状態を受け入れていき、治療を決めていくうえでもとても重要です。
赤ちゃんを囲み、夫婦で肩を寄せ悲しむことも必要ですし、夫婦以外の人間(主に祖父母)が無責任に感情的に嘆いている様子を見てようやく、夫婦は起きた出来事を客観的に捉えることができます。そこでやっと感情を思い切り発露できたりもします。私たちとしては保護者としての責任感や「病院には頑張ってもらっている」という思いが先行し、自力ではなかなか弱音や感情的な言動を表現しきれないものです。
救急救命に慣れている医療の強い空間では、夫婦1人ずつの面会となってしまうと一緒に感情的に嘆くべき人がいないですし、むしろ「状況は悪くない」という医療側の力強いトーンに巻き込まれていくことに苦しみました。まさにその重篤な状況自体、医療によってもたらされたのだというジレンマが、一層複雑な思いに拍車をかけていました。
喪失を受け入れられないまま、意識も戻らず傷ついた息子をひとりで見ながら、そういう雰囲気がつくられていくことは異様でした。
臨床心理士さんとのカウンセリングには心のケアの面で助けられましたが、「体感すべき体験が得られなかった」という感覚は埋めることができませんでした。
私たちの場合はここに至るまで時間的猶予をいただけたため、当時のやりきれなさはともかくとし、今の子どもの状況自体は受容できるようになったと思いますが、急変時における一時的な面会制限緩和(一定期間の夫婦同時入室が許され、一度でも祖父母入室が許されること)は、単に親の心の慰めということではなく、親が子の状況を正しい形で受容することに繋がると感じます。
コロナリスクを勘案したとしても、その後の治療選択などでも、か弱い赤ちゃんの権利を正しく守るという点で必要だと強く感じます。
一方で、息子が残りの人生を病院で過ごすこととなりそうです。
ミルクは経管栄養のため、抱かれて飲むという触れ合いもなく、横たわったまま機械で胃に自動的に流されています。
現在許された面会時間以外は、リハビリや保育士さんとの触れ合いの時間を短時間作っていただいていますが、一日の大部分が三時間に一度の対位変更や経管栄養、その他クーリング、痰取りなどの医療的ルーティンで過ぎています。
せっかくこの世に生まれてきたのだから、家族の時間を作ることはお遊びでなく、息子の短い人生における残された唯一の価値であると考えますが、面会制限によりそれが思うように叶っていません。
医療という場に子を預けるしか選択肢がない中で、許可がいただけなければ赤ちゃんに会わせてもらえないという関係性の不均衡自体、飲み込むしかないことは理解しつつ、なけなしの面会時間はみじめで、やり場のないつらさも感じることがあります。
コロナ禍という厳しい状況は理解し、これまでも汲んできたつもりですが、残された彼の人生にたいした起伏を与えられていない無力感は計り知れず、自分への怒りで眠れぬ日も多いです。
現在でも、できる限り話を聞いていただき、他の親御さんに比べて制限を非常に寛大にしていただいているという点で感謝するほかなく、迷惑をかけておりわがままであるのは承知の上ですが、
親の思い出作りということではなく、言葉を持たない一番弱い立場の彼の短い人生において、最低限の生きる意味をできうる限り与えてあげるという点で考えて欲しいです。
夫婦2人暮らしで、お互い在宅で仕事が完結でき、面会時以外には外出機会もなく、感染リスクを極限まで下げるよう徹底しています。そういった個別の事情もできる限り汲んでいただけると有り難いです。
2月10日
夫婦で病院へ。手術に関して病院と面談。
手術不同意の意向を、文章を読み上げる形で伝えた。
じゅうぶん見込みある手術を断るという意向なので、病院によっては、手術不同意ではなくいわゆる治療拒否と判断され、最悪医療ネグレクトと判断されて、親権停止、手術実施される可能性すらあるものだと思う。
B先生には「手術しないという判断でももちろん尊重する」とは言われていたが、親として血を沸き立たせながら、死に物狂いで考えた結果であることは、説明しないといけないと考えていた。
B先生は動かず、C先生はうんうんと頷きながら聞いていた。
聞いてもらったあと、B先生から「大変な決断だったと思う、もちろん尊重させてもらいます」というようなことをゆっくり丁寧に言われた。B先生は情緒的すぎず事務的すぎず、この辺の話し方のバランスが取れている人ですごく助かる。
付け加えて言われたのは「こういう文章で出してもらえると、変な話だが内部的にすごく助かる」と言われた。
「医師である自分が仲介して親の意向を責任者のミーティングで説明しても、ニュアンスが伝わりにくく、結局治療拒否であるとか、医師の説明不足じゃないかと言われてしまったりするので…」と。
「手術にむけて全力で考えてはいたので、切り替えが必要で、今後のことは今日から改めて考えていきましょう」と言われた。
こちらの意図がわかれば、割と医療側はすんなり手術を行わない方向に気持ちを切り替えていた。
彼らはある種の日常のルートに切り替えるだけだというのもあるし、そういうものかと思うと同時に、それはそれで一抹のやるせなさを感じた。
その後、息子と面会。
いつも通り可愛らしく、すやすやと眠っていた。
夫と交代で抱っこした。
腕の中ですんなり眠ってくれたので、抱っこを心地よいと感じてはくれているのだと嬉しかった。
家にいるネズミのぬいぐるみを持ってきて、遊んだりした。
帰りオムツ替えをした。
グレン手術不同意に関しての文章(病院にむけて)
<これまでの経過>
息子=グレン、フォンタン循環目指す心疾患で生まれる(胎児期からエコーで方針決定)
生後7日目にカテーテル治療でガイドワイヤーが心臓の壁を貫き、長い蘇生で、重い低酸素性虚血性脳症(脳萎縮)に。
その後肝炎で死にかけ、早期のグレン手術検討→リスクが高く不同意
その後肝炎が落ち着き、手術リスクも比較的高くない状態になった。
手術適応の時期も満たした(四ヶ月過ぎた)ため、再度病院からグレン手術の提案があった。
以下は病院面談時に提出し、母親(わたし)が読み上げた文章になります。↓
手術同意はリスクに同意することでもありますが、私たちは、同意がもたらす治療リスクとは一体何であるかを過去既に経験しました。
カテーテル治療において稀といわれる心臓穿孔が病院実施三度目にして起きたことや、長い時間蘇生され、繋いだエクモも20分以上停止したこと、何よりその過程で既に開胸され傷つき果ててしまった○○(=息子名前)を見て、家族として不条理を感じ、受け止めきれない出来事を、起きてしまったこととしてただ享受しました。
私たちが同意した治療によりもたらされた彼の不可逆なダメージや傷つき、不幸は、人生一度きりであるべきで、本当に十分だという思いがありました。
疾患を持って産まれた以上、治療リスクと対峙せざるを得ないのは当然であり、医療にアプローチしていただけるのは贅沢で幸せで感謝することであり、その根本は疑いようがありません。
その反面で、医療的介入により本来単純な生き死にの流れが複雑化し、介入がない場合よりずっと残酷な状態に陥ることがあるとも実感しました。
心臓穿孔により起きたこと自体が残酷に感じたのはもちろん、蘇生後、脳の状態の確証がないまま、肉体の治療を進めた場面では「もし脳が想定よりやられていて、ほとんど肉体だけ死線から引き戻してしまったとしたら、それ自体が取り返しのつかないことだ」と思いました。単に自然のまま亡くしてしまうより恐ろしく、摂理に背き、○○の身体を無碍に扱ってしまうような抵抗感が強くありました。
実際そうはならず、皆さんに尽力していただいた結果、今の息子の小康状態があり、感謝は絶えません。しかし、治療・手術リスクが時に耐えがたい理不尽な状況をもたらすということをどう解釈し、判断するかということに関して親として考え続ける日々でした。
一方で彼に生を謳歌してほしいという親として当たり前の切実な思いがあります。○○は産まれてひと目見た時からとても可愛らしい子で、それは今も当たり前に変わらず特別に可愛らしい存在です。生きているだけでこんなに可愛らしいのだというのはつき抜けて感じるもので、各実家は「みんなで育てていこう」と協力的でありますし、どうであれ彼が彼なりの人生を歩み、私たちが支えていけるのであればとにかくそれが一番良かった。
脳症のことだけ考えれば、低酸素性虚血性脳症の子は出産時の新生児仮死が多く、急性期過ぎてしまえば障害はありつつも順調に回復し、家でずっと生活できる子も多いと思います。
しかし○○は問題の根幹に心疾患があり、それに対処する開胸手術を検討しなくてはならず、思っていたより早々にその時期が来てしまいました。
本人にしてみれば、なにが起こったとしても「自分に何が起きたか」を解釈できる日は来ないかもしれません。だからこそ「やってしまえばいいじゃないか」と言えるかもしれませんが、その理屈でどうとでも身体的に介入できてしまうことになります。だからこそ、親が経緯と状況を見て考える必要があると思っています。
本来、手術するかしないかの二択しかない現実は、親にとっては暴力的なことであり、どちらを選んでも引き裂かれるものです。手術するという判断の方が真っ当に見えるという人もいるかもしれませんが、カテーテル治療の時だって、リスクや侵襲性からして一番真っ当らしい選択であったものの、それが不幸な展開をしました。私たちにとって、どういう判断が息子を守れるかという判断基準は、もはやそういった真っ当らしさにはないということは申し添えたいです。
治療の客観的な展望を話していただいたことや、限られた中で面会時間を増やしていただいたことで、夫婦共に涙しながら悩んできました。お互い手術しようと言うこともあり、結論ありきではないよう努めてきたし、実際そうでした。
祖父母に治療方針の相談はしているか質問されたことがありますが、祖父母はそれぞれに並々ならぬ思いがあるだろうし、私たち夫婦と合わせて合計6人の意見を集約できるはずもないため、状況報告し都度話すことはありますが、治療方針自体に関して事前相談したり、言及してもらうことはありませんでした。祖父母は孫を深く思いつつも私たち夫婦の心配を優先とするムードがあるとも感じたため、治療判断の要素としませんでした。
このような経過のもと、今回先生方からいただいたご提案を踏まえて、夫婦としてはグレン手術に同意しないという意向です。
以上のことは胸にメスを入れて手術する上でのリスクを負えないという話であり、彼の生命を維持しようとする以上、あらゆるところに大なり小なりのリスクがあることは承知しています。彼が今後厳しい状況になっていく中で、どういう処置を行うか・行わないかということは、今後も先生方との話し合いのもと考えていきたいと思っています。
先生方、看護師の皆さんに常に尽力いただき、手術するにも良い条件を揃えていただいたにも関わらず、こういった回答になることは申し訳なく思いますが、尊重していただけると有難いです。
限られた時間の中で、○○が少しでもできることを増やしていったり、リハビリをしてもらったり遊んでもらったりすることは、本人が穏やかに可能な限り、一緒に楽しんでいきたいです。体調や状況が厳しい日は、ただ寄り添っていきたいと思っています。
2月9日
夫婦面会。男性看護師。人手が少なめ。
たんが溜まりやすかった?印象。
息子は基本的に起きてることがほとんどだった。
熱はなく、ミルクが20mlから40mlに増やすとのことで、飲めると良いなあと思った。
起きてる時間が長いと長いで、眠れているのかすこし心配。
結構はっきりと起きているが、目線はそれほど合わない気がした。
リハビリの方が来て、キャンプ(個室で長く面会したこと)のことや、個室の畳の話、赤ちゃんの洋服の話など色々雑談した。
プライマリーナースの方も来て、キャンプのときのことを話した。
キャンプした日は、息子は夜8時には眠ってしまっていたと言っていた。今週もよかったらとやりましょうと提案してもらった。あと、明日のことを気にかけていた。
カウンセラーの方もふらっと来て、とりとめもない話をして帰った。要は明日の治療方針に関する面談が息子の生死を左右する話なので、そのフォローに来てくれているという感じだった。(なんともいえない)
2月8日
1人で面会。
息子は吐いてしまったようで、3時間中2時間20mlにミルクを減らされていた。
たまにぱっちり目を覚ますが、栄養が足りていないのか、疲れて眠ってしまっては、すぐに目を覚ますを繰り返していたような気がする。
そんなに痰が溜まっていないように見えても、せきをするので、呼吸器が気持ち悪いのだろうかと心配になった。
トントンしてあやす時間はやはり幸せだった。少し歌も歌ってあげた。
夫と手術について話す。
先日とは打って変わって、夫婦同じような目標になっていた。
あと、思ったより夫は自分なりに色々調べ、考えたようだった。
明後日、手術しない意向を先生に伝えようということになった。
2月7日
夫婦で面会。14ー17時。
グレーのユニクロのメッシュを着せていた。
13時頃にミルクを吐いてしまったようで、経管ミルク50mlを三時間で流すようにしたとのこと。
本人は心拍が160超えが多く、目はしっかりしているようだが、視線が合う感じはあまりなかった。
とはいえ、夫はカメラ目線のベストショットが撮れたらしい。
看護師さんがヘアースタイルの話をし、センター分けが可愛いと言って、髪型を遊んだりした。
少し良さそうな時は顔を近づけて遊んだりしたが、基本的には目を閉じさせて、眠らせるように努めた。
今日は夫は治療方針に関して何も語らず、あまり考えている様子もなかったので、流石に怒りを感じていたのだったが、そのうち、しかしそりゃそうだよな、と納得してしまう部分もあった。
昔は医者が勝手に方針を決めていたというし、こんなことを考えさせられるなんて残酷だと思うし、彼には考えられない優しい人でいてほしいとも思ってしまった。
2月6日
夫婦で面会。個室。10時から16時で一緒にいることができた。
心拍数が高く、視線がそこまで合うことはなかったが、ぞうさんでいないいないばあしたり、目を開けて覚醒している時はなるべく色々してあげた。
ランチ、おにぎりで夫婦で20分弱で食べた。
身体を拭き、頭を洗い、お尻を洗って、オムツを変えた。
洋服はうし柄?ヒョウ柄?を着た。
抱っこ時間は意外と少なく、15分くらいずつだった。
「ベッドがないと色々オムツ替えなど大変」と言われるのがなんとなくよくわかる、きっと座りながら作業するのは大変だと思った。
途中おむつアート?というようなことをやって、変に断ることもできないので、撮ってもらった。
C先生から頭CTの説明。「神経学的予後はポジティブな情報を言ってしまうと『言われたこととちがう』と言われてしまうし、ネガティブな情報を言うと治療拒否する親がいるのでなかなか言えない」というような趣旨のことを言われ、とてもよくなかった。
本来予測できていても伝えられていないネガティブな予測はあるのだろう、と前々から思っていたので、納得はいくセリフで、とても残念だった。
夕食後、夫と治療方針について話す。
夫は先生がかなり強気に成功確率があることを表現していたし、面談時、その場の私の雰囲気も悪くなかったことから、手術する方向に向かうものと思っていたようだった。
ただ、「手術したい」というポジティブな気持ちではなく、否応なく選ぶとしたら手術、という感触だという。
私はカテーテル治療での一件で医療から深刻なダメージを受けており、そのようなリスクに再度息子を委ねたくない(手術したくない)と言う気持ちを伝えた。意見の不一致に戸惑い、お互い少し攻撃的になる時があったように思う。
夫は私がメンタルやられると家事が散漫になるところ、精神不安定な時も相談相手を作らないところに強い不満があるようで、それは努力すると答えた。
手術しないのであれば、ゆくゆくは結婚生活も続くかわからないことも示唆された。しんどい。
2月3日(高カリウム血症で息子死にかける)
夫婦で面会。11時から治療方針に関する面談が控えていたが、その手前で少し息子と会えるようで、息子のベッドに通された。
いつも通りガウンを着て息子の顔を覗き込むと、ぼんやりした顔をしていた。「○○くん」と声をかけると目を大きく反応したので、眠かったのかなと思った。
そのタイミングで看護師さんが「ちょっとたんの吸引をしますねー」と少し慌てた口調でやってきた。
たんを引きながら「だいぶ引けました」と言うので、息子の背中をトントンしていると、面談時間になったB先生がゆったりとやってきた。
B先生は息子のモニターに目をやると「どうしてこうなってんの?」「血圧は?」と看護師さんに。「たんが落ちちゃったんですかね」と答えているうちに、徐々な不穏な雰囲気に。
夫曰く「一瞬心拍が70くらいになってるの見えた。表情は普通だからエラーだと思ったけど」と。普段心拍数は170ー150あたりなので、それは明らかにおかしいものだった。
B先生がC先生を呼びに行き、「徐脈してるみたい」と。
その場でバギング(風船のようなアイテムで人工呼吸)することになった。
先生同士が「カリの数値がさっき7だった」「今は9になってる」と話していた。
質問できる状況にないので、ただ黙って見守る。面会に通されて5分も立たずこういう状況になったと思う。
バギングすると、「ひとまず落ち着いてきました」と言われたものの、NICUの医師や看護師が集まってきて、切迫した雰囲気に。
ベッドから医師看護師が離れる隙があるため、合間を縫って背中を撫でたりしていたが、しばらくしてやはり両親は待合室にいるように声がかかった。
「なんで心拍が弱まったんだろう」と夫婦言い合いながら、一方で私は「今日逝ってしまうのかもしれないな」と思っていた。
なんにも予期しないまま、息子とベッド脇で最期アイコンタクトして、彼はぜんぜん苦しそうにもせずに瞬きして、そのうち逝ってしまうのであれば、それがむしろいいのではないか。と思い始めていた。
しばらく待つとB先生がやってきて「高カリウム血症です」と説明があった。
元々息子は利尿剤の影響でカリウムが不足していて、カリウムを内服していたが、昨日利尿剤の点滴が詰まってしまい、利尿剤を内服に切り替えたと。
すると尿量が減り、カリウムが排出できなくなり、血中のカリウム濃度が高くなってしまったと。
血中のカリウム濃度が高くなると、不整脈・徐脈と心臓の鼓動が弱まり致死的な状況になる。
「もう少し手前の段階で対応できなかったのか?という内部的な検討の余地はあると思うのですが、概ねこういう経過になります。」
「あと1−2時間が勝負というところで、おそらくうまくいくという想定ですが、ここがうまくいかないと、ECMOを回して治療するという手段しかなくなります。とはいえすでに○○くんはECMOを使用しているので、2度目は癒着していてリスクがある。ご両親がそういった治療を積極的にされるかはもちろんお伺いした上で・・・」というような説明があったのち、近くの待合室で待機することになった。
話を聞いた後は、「ご飯食べておいてください」と言われ、長い時間になりそうだったので、夫婦でカレーを食べた。2人あまり動揺していなかった。
その後面会できることになった。カリウムが5.5まで下がり、致死的な状況からは脱したということだった。
息子は目をぱっちり開けていた。心拍数が230と、強心剤を打たれた影響でめちゃくちゃバクバクしているようだったが、とても気持ちが悪い、という状態ではなさそうだった。
しかしその後、声が出ないながらもかなり泣いてしまっており、とてもかわいそうだった。
体位向きを変えるとようやく泣かなくなった。
現主治医のC先生が気まずそうに「利尿剤を内服に切り替えたことでこんな大事になってしまうことは経験がなかったが、甘く見てしまっていたかもしれません。すみません。」と言ってきた。
夫が空気を読んで「それだけ息子が複雑な状況にあって、先が読みづらいということですよね」というと
両親が怒っていないとみるやC先生から
「そうですね…。でも、○○くん強いです。脆いところはあるけどこうやって戻ってきてくれて、強いなって思います。」
と言われ、そのトンチンカンぶりに、夫婦ともどもげんなりしてしまった。
単純に、医師のカリウムの調整によって死にかけたとも言えるが、「戻ってきてくれて強い」と言われるのは明らかにおかしいと思ってしまった。
1月27日
夫婦で、11時から今後の治療方針について医師と面談。
これまでの経過で手術不同意をしていたことに関しては、「何もやらないよりやる後悔というが、介入なく亡くなる子と、介入でダメージを負って亡くなる子というのは違う。カテーテル治療での経験がある中で、さらに介入して亡くならせてしまうリスクを取ることは、残酷な結果をもたらす」と考えていたことが要因にあることを伝えた。
とはいえ今回はまた状況が変わっているので、改めて考えを巡らすことも伝えた。
息子と面会。
心拍数が高く、熱があり今日は少し苦しそうな表情が多かった。
おもちゃで遊ぶような雰囲気ではないね、と話しながら、よしよしして、少しでも楽なように願った。
途中から先生がカテーテルのラインのテープの貼り直しをした。夫は血を見るのが苦手なので席を離れて、息子のすぐそばの窓から病院の中庭が見えることに気づき、「逆に中庭からでも息子の部屋が見える」と少し喜んだりした。カテーテルはとてもとても細いので、これは入っていても殆ど違和感はないだろうなと思った。(接合部はテープで固定しまくっているので違和感があるだろうが)
その後おむつ替え。おしっこもうんちもたくさん出ていた。
おでこをつけて帰宅。
1月25日
夫婦で面会。
低血糖の影響で、二時間ゆっくりミルクを経管栄養で取るようになっていた。
最初の方は起きていたけれど、ミルク飲んで寝ないのも不安なので、特にあまり遊ばず寝かせようと思い寝かせた。
目がぱっちり開いている時はおもちゃで色々試みたが、今日はあまり反応らしい反応はなかったように思う。
夫は終始眠たそうだった。
むくみが取れた、と看護師さんがいうので見てみると、確かに大変むくみが取れていた。
利尿剤が入っているということだった。
体重が4070gとのことで、聞いていた時より600gも減っていた。
でかく産まれた新生児ほどの体重で、4ヶ月になるのだから、びっくりする。
15時から保育士さんとリハビリの方とお会いした。
息子を見てワイワイしてくれてありがたかった。
リハビリの方は、先週金曜日から目がしっかりしている、追視も影を追う形でやっているとのことを説明してくれてはいた。
1月23日
1人で面会。
隙のなさそうな看護師さんで圧を感じたが、抱っこの移動もとてもスムーズで、頼もしさを感じた。
息子は今日は調子良さそうで、抱っこしながら追視の練習のようなことをした。
視線が合ったな、と思ったところで自分の顔を動かして呼びかけると、こちらの方向に目を向けることが多少できているような気がした。
手でも色々触れさせたりしたいが、点滴の固定で自由があまり効かないため、難しかった。
面会時間制限について看護師さんから後半説明が合った。
プライマリーナースの方が、C先生に掛け合って、面会時間を交渉してくれたとのことだった。
土日は面会制限が緩和され、3時間もらえることになった。
先日私が「発達は気にしないようにしている。重度の障害が想定されつつも発達をのばそうと色々してやりたいが、あまりに面会時間が短過ぎるので、諦めないと気のもちようがない」とぼやいたので、それを汲んでくれたことだった。
オムツを替えて終了だった。
1月20日
ひとりで面会。
息子は寝ていたが、浣腸後、リハビリ前あたりから起きていた。
腹水によるお腹の張りが気になる。青く血管が浮き出るくらいにふくらんできてしまっていた。
抗生剤のカテーテルが詰まり気味のようで、ルートを変えるという話がまた出てきた。
リハビリの方から、面会時にできる発達の促しについて話があった。
・腕をきをつけの姿勢に持ってくる→赤ちゃんは腕の位置が胸元に戻りやすいので、自分で動く練習になる
・息子の手で顔をタッチさせたり、口元に持って行ったりしてみる
・ライトがつくおもちゃなど、明暗がはっきりするもので遊ぶ
頭とお尻を洗い、オムツを交換した。お尻はももの間が赤くなっているようで、薬が塗られていた。
今日は時間が過ぎるのが早かった。
1月18日
夫婦で面会。
息子はぐっすり眠っていた。たまに、ふと一瞬目を開ける程度。
おむつ替え。
顔の湿疹が少しあり、ずっと気になっている。
左腕のわきのカテーテルが少し詰まりやすいのか、ぴったり腕を閉じることがないように、と、C先生と看護師さんが話していた。
C先生から夫に状態説明。
私は参考程度に聞き流しで聞いていた。
腹水の治療のためにミルクを変更したが、改善傾向にないのが気がかりだが、一週間くらい様子を見ようということだった。
抱っこ。
移動の際呼吸器がずれて苦しいのかイヤイヤして、その後少し起きていたが、すぐ寝た。
完全に眠ってしまって、くったりとした左手の重力が愛おしかった。
夫に移動。
夫も色々話しかけたり、足を触ったりしていた。
体重は4700台になっていたが、腹水がだいぶ増えてきているので、身体の肉付きで増えているのかは不明そうだった。
その後、担当の看護師さんからヒアリング。
日常に困っていたり、不安に感じていることはないか?という趣旨。
・長期戦になり、目標も定まらないので、心の置き所がない
・急に深刻な状態を医師から告げられることがあるので、なるべく日々、深刻度合いは共有してほしい
・口からミルクを飲める子は都度抱っこしてもらえるし、声を出して泣ける子はあやしてもらえるが、息子はどちらもできないので、他の子どもに比べても構ってもらえないのではないか不安。なるべく構ってやってほしい。
・叶うなら一度は家に連れて帰りたい
というようなことを言った。
1月10日
夫婦で面会。
B先生から状況説明。
「熱が上がりやすく、ここ最近調子も悪そう。感染症の細菌がくすぶっているかも。」ということだった。
血管に通しているカテーテルに繁殖する可能性があるので、今のうちに入れ替えたいが、うちの場合、カテーテルを通す血管がだいぶ潰れている(使えるところは使ってしまい、弱くなっている)ので、次通すとしたら首から。
首を使ってしまうといよいよ使えるところが無くなってくるので、次の一手を考えておかないといけないということだった。
感染症がくすぶっているのだとしたら、結局心不全による影響も考えられるので、心臓手術を検討しないといけないかもしれない、らしい。
夫婦で色々質問し、30分ほど経過した。
その後息子のおむつを交換した。
元気がない、と言われると「そうなんだなぁ」と思い、代わってあげたい、辛い、しんどいよねーごめんね。と声をかけていた。
腕を口元に持ってきてぎゅっとするのは、泣いているようだと知り、その力強さが嬉しくもあるが、かわいそうに思った。
ミルクの時間が近くなると、チュパチュパと吸啜反応が見られ、少しリラックスしているように見えた。
結構力強かったので、夫婦で「おおー」という感じになった。