コロナ禍における赤ちゃん(退院見込みなし)との面会制限緩和交渉

現在息子が入っているNICUは週二回1時間ずつの厳しい面会制限となっていますが、何度か病院側と交渉して、現在は平日2時間、休日6時間の面会制限に緩和されました。24時間自由に面会可能な通常時より厳しく限られていることには変わりなく、非常に無念ですが、看護師さんには精一杯内部交渉してもらい、病院としての誠意は感じる結果となりました。この内容で合意しています。

都内の大きな病院で、小児病棟全体で議題に上がったそうですが、以下のような医師の意見も上がり、制限緩和となったようです。

・医療者が赤ちゃんと親を切り離す権利は元々ない

・世界的に見てもNICUクラスターが発生した事例はない

・赤ちゃんの重症例もほぼない など

 

親としては「コロナリスク勘案したとしても、赤ちゃんとの面会制限緩和は時に非常に重要である」と伝えるため、以下の文章を病院に渡しました。(個人的にはもっと強く人権抑圧的要素が強いことを言い渡したかったですが、交渉のためマイルドな内容にしています。)↓

 

 

面会制限に関しては振り返ると、後悔し、やりきれなさを感じる場面があります。

例えばカテーテル治療の心臓穿孔よって〇〇(息子)が急変し、PICUに入室したとき、一度夫婦同時入室しましたが、翌日には重篤ではあるものの生命危機を脱したという理由で、その後夫婦同時入室や、祖父母面会が原則許されませんでした。

コロナ禍であるため、医療従事者の方々や周りの赤ちゃん、自分の子に危害を加えることだけはあってはならないと、私たちもその条件を強く求めませんでした。しかし振り返ると後悔は強いです。

 

即死は免れたものの「心臓以外は健康な息子」を失ったというある種の喪失でしたので、家族同士同じ空間で子どもを目の前に、喪失を憤ったり悲しんだりする時間が必要でした。親が儀式的に喪失を体感し、それを受け入れることは、その後の赤ちゃんの状態を受け入れていき、治療を決めていくうえでもとても重要です。

赤ちゃんを囲み、夫婦で肩を寄せ悲しむことも必要ですし、夫婦以外の人間(主に祖父母)が無責任に感情的に嘆いている様子を見てようやく、夫婦は起きた出来事を客観的に捉えることができます。そこでやっと感情を思い切り発露できたりもします。私たちとしては保護者としての責任感や「病院には頑張ってもらっている」という思いが先行し、自力ではなかなか弱音や感情的な言動を表現しきれないものです。

 

救急救命に慣れている医療の強い空間では、夫婦1人ずつの面会となってしまうと一緒に感情的に嘆くべき人がいないですし、むしろ「状況は悪くない」という医療側の力強いトーンに巻き込まれていくことに苦しみました。まさにその重篤な状況自体、医療によってもたらされたのだというジレンマが、一層複雑な思いに拍車をかけていました。

喪失を受け入れられないまま、意識も戻らず傷ついた息子をひとりで見ながら、そういう雰囲気がつくられていくことは異様でした。

臨床心理士さんとのカウンセリングには心のケアの面で助けられましたが、「体感すべき体験が得られなかった」という感覚は埋めることができませんでした。

 

私たちの場合はここに至るまで時間的猶予をいただけたため、当時のやりきれなさはともかくとし、今の子どもの状況自体は受容できるようになったと思いますが、急変時における一時的な面会制限緩和(一定期間の夫婦同時入室が許され、一度でも祖父母入室が許されること)は、単に親の心の慰めということではなく、親が子の状況を正しい形で受容することに繋がると感じます。

コロナリスクを勘案したとしても、その後の治療選択などでも、か弱い赤ちゃんの権利を正しく守るという点で必要だと強く感じます。

 

 

一方で、息子が残りの人生を病院で過ごすこととなりそうです。

ミルクは経管栄養のため、抱かれて飲むという触れ合いもなく、横たわったまま機械で胃に自動的に流されています。

現在許された面会時間以外は、リハビリや保育士さんとの触れ合いの時間を短時間作っていただいていますが、一日の大部分が三時間に一度の対位変更や経管栄養、その他クーリング、痰取りなどの医療的ルーティンで過ぎています。

 

せっかくこの世に生まれてきたのだから、家族の時間を作ることはお遊びでなく、息子の短い人生における残された唯一の価値であると考えますが、面会制限によりそれが思うように叶っていません。

医療という場に子を預けるしか選択肢がない中で、許可がいただけなければ赤ちゃんに会わせてもらえないという関係性の不均衡自体、飲み込むしかないことは理解しつつ、なけなしの面会時間はみじめで、やり場のないつらさも感じることがあります。

コロナ禍という厳しい状況は理解し、これまでも汲んできたつもりですが、残された彼の人生にたいした起伏を与えられていない無力感は計り知れず、自分への怒りで眠れぬ日も多いです。

 

現在でも、できる限り話を聞いていただき、他の親御さんに比べて制限を非常に寛大にしていただいているという点で感謝するほかなく、迷惑をかけておりわがままであるのは承知の上ですが、

親の思い出作りということではなく、言葉を持たない一番弱い立場の彼の短い人生において、最低限の生きる意味をできうる限り与えてあげるという点で考えて欲しいです。

 

夫婦2人暮らしで、お互い在宅で仕事が完結でき、面会時以外には外出機会もなく、感染リスクを極限まで下げるよう徹底しています。そういった個別の事情もできる限り汲んでいただけると有り難いです。